2023年07月24日

柏尾通り大山道 その2 22

道標供養塔を見た後は切通しのダラダラ坂を上ります。
スゴい高さを削っているので往時はかなりの急坂だったろうね。
坂にある寿閑寺は弘治3年(1557)の創建で、脇侍二菩薩像が市指定重要有形文化財。
普賢菩薩像と文殊菩薩像のことで天和4年(1684)の作です。
普賢菩薩は白象、文殊菩薩は獅子に騎乗しているのが特徴。
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2023年07月22日

柏尾通り大山道 その2 21

道標の並びに石仏群。
奥の大きめの碑は養蠶守護金色大天女供養塔。
「金色大天女」は養蚕を日本に伝えた金色姫のこと(らしい…)。(^-^;
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2023年07月18日

柏尾通り大山道 その2 20

緩やかな坂を下って、目久尻川に架かる用田橋を渡ると海老名市になります。
県道22号横浜伊勢原線&県道43号藤沢厚木線とはおさらばして、左に旧道。
県道22号は坂を上って名前のない丁字路交差点を左折して西に向かい、県道43号はそのまま真っ直ぐ進んで厚木や座間方面に向かいます。
名前のない丁字路交差点は、東山田交差点から西に延びる用田バイパスとつながって、いずれ十字路になります。

さて、用田橋を渡って左折すると右手のブロック塀に道標が2基。
隙間なくピッタリと並んでいます。
用田の辻のように、左にお不動さまが彫られた大山道標、右に座間&上依知を示す道標。
大山道標は明和5年(1768)製で、正面に「左大山道」、その下に「東 ふち沢/かしを」と刻まれています。
資料によると、右面は「北 不し能や/金田厚木 道」で県道43号の道筋。
右側の道標は「右 座間休息山/上依知星下 道」と刻まれています。
用田の辻の座間は「村」じゃなくて「休」なのね…。
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(´-`).。oO(当日はまだ石造物にあまり興味がなく、座間や上依知に何があるのか?は調べませんでした。謎が判明するのは16年後の藤沢通り星の谷道…)

2022年11月07日

【再訪】柏尾通り大山道 その2

10月15日のその1に引き続き、昨日柏尾通り大山道再訪その2を歩きました。
前回の東海道柏尾追分から用田の辻では、地元の生活道路だったり昨年の星の谷道でも歩いているので、まあまあ見慣れた地域でしたが、相模川以西はホントに久しぶりなので、変わりようにビックリしたところがありました。

行程は中原街道と交差する用田交差点「用田の辻」から伊勢原市石倉まで。
前回よりちょっと短い。
歩いた距離は寄り道含めて19.8km、8時間10分の旅。
歩数は24,591歩。

今回も17年前の2005年に撮った写真を転送して、ビフォーアフターをつぶやきました。
場所によってはずいぶん変わっているのでビックリです。

まずは用田橋西詰の道標2基。
上が現在、下が2005年です。
サイドの文字が読めないのでもう少し離してほしいですね。
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門沢橋のお不動さまが乗っている大山道標。
これはイチョウが小っちゃくなっていてビックリです。
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小田原厚木道路の北側にある菖蒲田交差点。
佇んでいた道標はこの先の高部屋神社に移されています。
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石倉橋交差点の北側で、たしか公民館が建っていたところ。
伊勢原市の上粕屋周辺は第二東海自動車道関係の工事でまだまだ変わって行きそうです。
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歩き終わって小田急伊勢原駅に着いたらまたビックリ!
駅の周りもずいぶん変わりました。
伊勢原駅は7年ぶりだけど、変わるもんですね。
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2022年10月21日

【再訪】柏尾通り大山道 その1

10月15日に柏尾通り大山道を再訪しました。
地元なので柏尾通りの一部は生活道路として何度も歩いていますが、街道歩きとしては初めて歩いた2005年以来17年ぶり。
準地元のフォロワーさんが歩いたことがないということでガイドしながら歩きました。

行程は起点の柏尾追分から中原街道と交差する用田交差点「用田の辻」まで。
2005年に歩いた時は長後駅までだったのが、今回は長後駅前で昼食を摂り、日没前に行けるところまでということで、用田の辻。
歩いた距離は寄り道含めて21.3km、8時間35分の旅。
歩数は27,803歩。

17年ぶりに歩くということで、2005年に撮った写真を数枚パソコンから転送して、ツイッターでビフォーアフターをつぶやきました。
17年の変わりようが分かっていても写真を比べると面白いものです。
まずは横浜市泉区中田町芝原付近。
上が現在、下が2005年です。
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柏尾通り大山道と長後街道が合流する泉区総合庁舎東側交差点。
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横浜市泉区上飯田のご印場の坂道。
鎌倉街道上道と合流する手前です。
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藤沢市下土棚の大山道と星の谷道の追分。
左が大山道、右が星の谷道。
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17年も経つと風景がずいぶん変わりますね。
下土棚は住宅地造成で道が消滅するので寂しいですが、ログが取れてヨカッタです。
フォロワーさんも柏尾通り大山道歩きを楽しんでくれました。(^-^)v
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2022年08月06日

柏尾通り大山道 その2 19

用田交差点で中原街道を横断すると、左手にお不動さまが乗る大山道標。
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存在は知っていたけど、間近で見るのは初めて。
安永4年(1775)製で、風化が激しく辛うじて正面の「右大山道」が読めます。
資料によると、正面の下部に横書きで「左柏尾道」、左面に「北江戸しんみち/南一の宮みち」と刻まれていたそう。
もう読めない。
お不動さまはあまり風化していないので、初代は風化して粉々になって2代目とか?

大山道標の足下に小っちゃい道標もあります。
埋もれているので下の文字は見えないけど、「西/座間村…/上依知…」と読めます。
座間はともかく、上依知(かみえち)って厚木の北部だけど、そんなに有名な地名なの?
ちなみに、道標が置かれている場所は旅籠亀屋があったところ。
次の交差点角のファミマ茶屋で20分休憩。
(現在は、ファミマは閉店してステーキのレストランになっています)

2022年08月03日

柏尾通り大山道 その2 18

御所見中学校前交差点から下り坂。
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切通しになっているのでかなりの坂だったんだね。
旧道と脇道の間に太いケヤキがあります。
平地になると商店が並ぶ用田宿。
大山道と中原街道が交わる用田の辻は車が渋滞しているけど、往時は旅籠が6軒あったそうで、昔から賑やかだったんだね。
バイパスが完成したら商店街が寂れてしまわないか不安。

2022年07月30日

柏尾通り大山道 その2 17

御所見中学校前交差点は伊勢原や厚木などの西方から来ると大山道と藤沢道が分かれる追分で、又にあったと思われる庚申道標が歩道橋の下に置かれています。
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元禄15年(1702)製と古く、右面に「従是 ふちさわ江のしまへ乃道」、左面に「従是 かしをとつかへの道」と刻まれています。
道標には進行方向の地名が記されていないけど、標識の通り大山伊勢原の他に厚木、そして星の谷観音へ向かう旅人で賑わっていただろうね〜。
県道も横浜伊勢原線の22号と藤沢厚木線の43号は合流したまましばらく一緒。

2022年07月26日

柏尾通り大山道 その2 16

旧道はバス通りだし道幅が広いけど、蛇行しているのがイイ感じ。
御所見中学校前交差点で左から県道43号藤沢厚木線が合流します。
御中歩道橋の「御中」はつい「おんちゅう」と読みたくなっちゃうけど「ごちゅう」。
標識によると、伊勢原まで11km、厚木まで9km。
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2022年07月22日

柏尾通り大山道 その2 15

旧道に戻ると、いすゞ子会社の塀の一部がアクリル板になっていて、御所見塚の案内板と塚の上に置かれていた碑が見えます。
桓武天皇の第三皇子葛原親王より出た坂東平氏の一つである長田氏(長田忠望)が構えた館が垂木御所と呼ばれ、この辺りにあった塚から眺めることができたので、その塚を御所見塚と呼ぶようになったそう。
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そんなわけで、御所見塚のある菖蒲沢村、葛原親王ゆかりの葛原村、これから向かう用田村など、この付近の6村が明治22年(1889)に合併して御所見村となりました。
これからしばらく「御所見」の文字をよく見かけます。